MacBook Airを利用して3年経過して思った事
現在私のパソコン環境はWindows・MacBookの2台体制となっていますがメインで使っているのはMacです。
- MacBook Air11インチ
- Windows10・15.6インチのノートパソコン
こうしてブログを更新しているのも、調べ物をしているのも、動画を見るのも全てMacで補っている状態です。
音楽をデータとして入れる時とExcel・Wordを利用する時はWindowsを起動しています。
私のWindowsは元は7で今は10にアップグレードしましたが遅い!!!とにかく遅い!!劣化しているというのもありますがいらない物を消してもやはり動作は遅くなっています。
Macを使用してしまったが故にの結果かもしれませんがコマンド入力したかったんです、SE時代に頑張って購入したかったので買ったんですが、今のMacも大分劣化しました、今も全然現役で使用はできているんですがね。
ただイヤホン部分が徐々におかしくなってきているのですが…。
ただ、次に購入するという点で考えた時にWindowsもMacも私の現在の収入として考えた時に無理です。
というかここ数年私のパソコンの使い方にも変化が訪れました、スマホという物が導入されて今では大体の事がそれで出来てしまう時代なので正直パソコンって文字を書いたりとか調べ物をするYouTubeを見るなどの用途としてしかほぼ使用しなくなったなと思うんです。
昔はチャットやホームページを作ったり絵チャもしていましたね。
多彩な使用方法がありました今こうして書き出しても懐かしいなと思いますが。
今の私が使用するであろう機能を考えた時に、Macは高級過ぎる…まだ使用できるなと考えた時に一筋の光が!!
ChromeBookというGoogle社が販売しているパソコン
MacでもWindowsでもLinuxでもないOSとしてGoogleが販売している機種です。
現在外国では市場を広げているのに日本ではその名前すらも滅多に聞かないであろうパソコンです。
私自身も調べるまで知りませんでした、たまたま調べ物をしていてたどり着きました。
本当にシンプルな機能のみを搭載しているパソコンでGoogleアカウントを利用して起動するという代物です
そして何よりも低価格という嬉しいです。
シンプル・イズ・ベストで基本動作をブラウザのみで行うというのは今の自分には1番あうなと思いました。
機種を見ていたらとても惹かれる物も存在してタッチパネル付きでAndroidアプリが使用できるのはいい!
正直Android利用したことないから疲れるなら使ってみたいという初心者の浅はかな考えで希望を持っています。
OSはLinuxを使っていた等WindowsとMac以外でも抵抗はないのでクリアしている。
ブラウザのみで動作する事とウィルス対策を行わなくてもいいという利点
これすごく利点です。
特に難しい事を何もしないYouTubeを見たい、ニュースを見たいという父の世代(60代後半)の方に説明するにはとてもいいんじゃないかと思いました。
LINEはアプリで動作をできるみたいで、ブラウザのみが立ち上がりが行え保存先はネット上という事から
説明するには簡単だと思いましたまた何よりも低価格で壊したというか壊れるから触りたくないと機械恐怖症の
父にはもってこいだと更に思いました。
また最近はやっとAndroidに慣れ親しんだ状態なので同じGoogleでまとめられているこの製品はいいんじゃいかと
Googleアカウントは既に所持してる為、利用しやすいと更に思いました。
そしてポピュラーなWindowsで1番気を使わないといけないのはウィルス問題!!これ1番私が駆り出される事なんです。
維持費もさることながらウィルスソフトのメンテナンスはもちろん私の役目となっています。
家族は機械音痴な我が家のメンツはアップデート、更新などわからない事はあります。
しかし誰でももちろんパソコンを持ったらやらないといけない宿命なんです
なのでメンテナンス業務は私の役目みたいになっていますが、それも結構億劫になっている時がありますが
それにあまり神経を持っていかれないのは利点だと思っています。
変なものをダウンロードしないという事も利点です、ExcelWordも使わない父にとってはとてもいい物だと思います。
特に音にこだわらない、写真は携帯で管理している孫の写真などだけ、ブラウザは普段からGoogleを利用している。
YouTubeも見ているがトップから検索はできる、キーボードは辛うじて日本指でローマ字打ちができる範囲で老眼が酷くなっている。
元々所有しているファイル数これから先所有するであろうファイル数の少なさとブラウザで全ての事が収まってしまう利用法。
そう考えるとChromeBookはお年寄り特に父のようにパソコンに触れてこなかった世代には優しい作りなのかなって思っています。
同時に私も触ってみたいという欲求から父にChromeBookをプレゼントしてもいいかもしれないと今年の誕生日当たりを狙っています。
Windows・Macを使用してのちの変更
現在はメインMacでサブWindowsになっていますが、これも今のパソコンが壊れたらどうなることやらと思っています。
今ではブログ更新等以外は何かを作成するという概念もなくなりました、相互性が生まれた事からOfficeソフトも楽になりました。
それもブラウザで使用できるなど凄く大きくパソコン利用方法は変わったと今では思います。
OSについても、今はMacとWindowsが主流でダウンロード形式はその2つがメインだと思いますが。
昔はMacも一部の人間のみが利用しているようなOSでした、Linuxもそうです、Windowsですら一部の人間だけした。
そう思うと今後の多様性はみんながこれを使っているから私もこれにしようという事ではなく。
自分のメインマシンは自分で探す時代が到来したのかもしれません。
今はまだ小さな市場かもしれませんが、外国では爆発的に売れているというChromeBookに可能性を感じています。
今度実際に買う日が来るかもしれないと真剣に悩んでいる前に父にプレゼント候補としての視野には確実に入ってる安価でシンプルなパソコンであるというのは最近リサーチをした結果として記しておきます。
本当に色々な可能性が見えてこれだから機器の世界は大好きなんですよ。
アクティブになる為にやること
どうもネガティブ代表ぱんだがお送りします。
という位に私は自他共に認めるネガティブ人間です、まずは失敗すという事から想像して成功するというビジョンが見えてこないというハイパーネガティブですがこうして書き記しいくと私大丈夫なの?って心配してしまいます。
なのでこんな時でも仕事ができないのは自分が自分に甘えているから、失敗するからもう必要とされないからみんなに陰口叩かれてあいつマジにクズだからと言われているんだろうと想像してしまいますが、これはもう自意識過剰だと私も思っています。
世間の人はそこまで私の事は気にもとめていないし仕事できるできないの判断なするかもしれませんがその人に迷惑がかからないという領域の話では陰口すら出てこないと思います。
なのに私はそうだと思いこんでいるしそうなんだと思っていますがこれがダメだと常日頃から考えています。
そんな時は私はネガティブに少しでもなれるように以下の事を行います。
まずは太陽の光を浴びる
まずはこれ大事です、大体の人は外に出て太陽の光を何時でも浴びていると思いますが引きこもりニートなぱんだはそれすらも疎かにする時があります…これ疎かにしたら本当に気持ちが萎んでくるという表現がとても似合う状態になります全てが世界の終わりのような捉え方になっていしまいます。
もう終わりだ明日朝おきたら倒れて死んでいるんだとか明日朝起きるとかそんな事したくないこのまま布団の中でとか思っている自分もいたりするのでそんな時は本当に太陽というか体内時計が本当におかしい事になってると自分でも自覚します。
そうなったら何もできなくなります、家事もできない家族に言われたこともネガティブになりますしイライラしますしもうどうしようもない状態になりますね。
なのでこれって1日数時間とまでも言わないですが私は実施するようにしています、体調がいい日は散歩などに行っては外に触れるようにしたら体調が多少なりとも良くなってきたのがここ数ヶ月わかります。
ひたすらネガティブな言葉をノートに書き記す
これ結構じわっときいてくるんですよね、もう誰にも言えないという言ったらだめな言葉とかも普通に書きますし普通にヤバイこともします、ノート一面黒くとか赤くとか緑に塗りつぶしたりします。
赴くままに何も考えずに言葉ばかりを書いていく場合もありますその中身は永遠の闇に葬り去ってあれを人に見られたら本当に私の人格疑われるだろって思っていますが今は1番身近に隠しています。
でも言葉に表すって大事ですよね、しかも手で書くというのが重要らしいですこうしてパソコンで書くというのは何だかまた違うみたいで、ノートとペンを握りしめてやるのが1番スッキリするという事にここ数年気が付きました。
びっしりと書く日もあればノートの中央に愚痴だけ書く日も嬉しい事書く日もありますし、ノートは大学ノートの小さいのでいいんです昔から使っている手帳でいいんです、もう何冊になってるかわかりません。
書いたらそのノート実は全て捨ててるんですけどねビリビリに破いて、過去のドロっとしたものは消去してます。
そうすることによって消化しているのかもしれないなってこの前ノート破りながらしみじみ感じていました。
こうして書くと私のアクティブな方法になるのって結構オーソドックスだと感じたし簡単だと思いました。
あとはネットショッピングは買わないけど延々見ているとかも案外ストレス発散ですし、ネットサーフィンしてるのも情報の海に放り投げられるのも好きです。
何でもない本を読んではその情報を処理していても結構前向きになれたりするんですよね。
私は他の誰かと一緒にいてアクティブになれるということのほうが少なくて1人でモクモクしたのちにそれでもだめなら限られた友人にだけ言って電話したりしますね。
対面で話したら相手の感情をもろに受けたりしてたまにしんどくなってしまう事もあるから他人のアクティブな感情はキツイなって正直思うんです。
ここまで書いていて私はネガティブ人間ですが処理の仕方が自分でわかっているので脱出もしますが今は脱出できていないが故にこうして新しくブログ初めたりとかしてもっとアクティブになる方法を思考錯誤しているのかもしれないです、これらかもっともっと沢山の事試していきたいな考えています。
この文章が数ヶ月後には違う風に変化していたらいいのにと思っています。
携帯デビューした携帯はまめぞうだったんですよ。
初めて携帯電話を持ったのは高校1年生の頃でその時は今のようにwebに繋げる、Eメールをするなどはまだまだ駆け出しの頃で画面なんてものはオレンジ画面に色なんて入ってもいないし、カメラなんてついてもいない画面も小さいものでストレート携帯でした。
高校進学に伴い連絡を取らないといけないという名目で姉と同じ会社縛りで当時流行っていたJ-PHONEになったのを記憶しています、機械というか機種には全然興味もなくどれでも一緒だという概念がありどうせ連絡を取るのは家族だけという認識しか持っていませんでした(当時は友人いなかったんです、今もですが(;´Д`))
そんな中で初めて持った携帯というのはとても新鮮でしかも私が初めて持った携帯はデンソーのまめぞう携帯。
まめぞうを設定すると携帯の中で可愛い豆の男女が可愛く誘導してくれていてとても可愛いです。
上記写真の白色を持っていました、これ高校時代出来た友達とお揃いになったんです色違いでしたが。
当時は携帯の種類も多くはありませんでしたからクラスの大半は同じ機種でしたね。
そんな記憶を元に私は携帯デビューを果たしました、しかもこの機種webに繋げちゃうという機種だったんですよ当時はまだwebは使ったら使っただけお金がかかるというシステムで膨大なお金を請求されて父に殴られた記憶あります…携帯って怖いと思いましたが自分が無知だったんだと今ならわかります。
なので携帯とは世界に簡単に繋がるけどその分の対価が膨大なのでネットって怖い!!!!っていう記憶しか植え付けられていませんでしたが、今はスマホとかに進歩して更に便利になりすぎて怖さはありますがね。
個人で通話ができてショートメールができるしかも当時流行っていたのはでたらめな番号にショートメールを送り届いたらメル友になるというなんともスリリングかつ今では考えられない事をしていました。
休み時間に友人達と一緒に番号これは?これは?と言い合いながら数通送り授業が終わり確認すると成功しているというパターンがあったりしました、女子高生怖いと今では思いますしセキュリティ的にどうなんだよって思います
昔は電話番号に拘りもなく買い換える時に新規で買っていたのもあるかもしれませんね。
そんなメル友の作り方今の時代考えられないし、怖い事していたなとやっぱり思いますし自分の子供がしていたらと考えたら戦慄しちゃいますが今だに未婚で子なしですが…(笑)
携帯電話は私の世界を確実に広めてくれて、使い方も間違っていたかもしれないですが…でも人間ってこんなにも沢山いるんだこんなにも話ができる人がいるんだという概念を私に与えてくれました。
中学時代引きこもりを患い、家の中で自作活動ばかりしていた私にとってはとても広い世界の始まりでした。
私にとっては今まで腐るほどといってもそんなにも持っていませんが、歴代ナンバーワン携帯はこのまめぞう携帯で決まりです、私に携帯の楽しさ怖さ人との繋がり方など教えてくれた携帯なのでこいつをぬきんでるものはいません
歴代携帯は今まで紛失したりしていますがやっぱりこの子だけはどんなにも色がはげてもサイドのシルバーの部分がはげてむき出しになっても、私の引き出しにしっかりと保管されたままでいます。
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大体的に言葉が足りない
大体的にぱんだは言葉が足りません。
状況説明する時も気持ちを伝えたい時も何をする時も文章でこうして表している時も絶対的に言葉が足りないです。
いつも状況説明する時に重要な部分を飛ばしてると妹に叱られるんです。
どうでもいい所の説明ばかりして私は重要な所をすっ飛ばしてると頭のなかで勝手に相手が知っている体で話しているだろうと怒られます。
確かにそんな節はあります、自分では全て説明しているつもりなのですが重要な所が飛んでいて相手に伝わっていないという事に私は気がついていないです。
こればかりはもう言葉の伝え方なのだと思います、でもここを怠ったら以後も何も伝わらないのだと思います。
言葉を省いてはいけない
大切な言葉ほど相手に伝わって欲しいわかってほしいという気持ちから省いてしまう場合があります。
- 愛してるや好きだという好意感情
- ごめんなさい等の謝罪言葉
- 親しき中にも礼儀ありの言いすぎてしまう言葉
など人間は親しくなりすぎたら言葉を省いてしまうというか私だけかもしれないですがしてしまいます。
家族に対しては本当に足りない所があるかもしれないです。
省いてしまっている事は沢山あります、全然足りないです友達でも恋人でも家族でも何でも足りない事が沢山ありますが伝えられる回数などは限られてるので正確に正しく伝えるのが必要だと思えます。
また、言葉で伝えないと不安になってしまう場合もあるわかってくれると過信して伝わらない事など沢山あります。
難しい言葉なんて必要ない
特に日本語って難しいと思うんです、同じ単語なのに全然違う意味になってみたりそうだと思って使ったのに仕様方法を間違えてみたりとか日本語って難しいなっていつも思います。
シンプルな所はシンプルで感謝の言葉や謝罪の言葉なんてとてもシンプルで精神誠意言葉に情熱を込めたら伝わるのかなと単純な事のよう感じる最近です。
昔から難しく考え過ぎて中々うまく言葉に表す事なんてできない人間でした。
好きだと素直に言えませんでした、親にも甘える事はしませんでした感情的に表に出すことも苦手です。
甘えるという事もうまくできない人間ですだけど相手がわかってくれないのが悪いと思春期の私は思ってました。
こんなにも感情を表にだしてるのにあなたに君にこんなにも伝えてるのにどうしてわかってくれないの?
そんな風に考える事しかできなくて言葉を噤んでいたんですがそりゃ伝わらないし理解もされないよと今の私なら言いますし思います。
何も伝えていないし格好つけて伝えていて真意なんて伝わっていなくて上辺だけの言葉で何もかもを伝えていたよね
相手に踏み込む事も何もしないで自分が傷つかない方法ばかりを選択していたよね、そんな人間誰も相手にしてくれないと今ならわかる。
難しい言葉なんて何も必要ないとただ単純に考えてる事を伝えるという事が大事なんだと三十数年生きてきてわかったという情けない話です。
私は大体的に言葉が足りません、今だに足りませんいつまでも足りないです。
大事なことは後になっても足りないです今必要な言葉なんだと思いますが直ぐに理解してもらうとか理解したいとかを諦めすだから相手には何も言いません。
しんどいという言葉で逃げ出します、今も逃げています認識したくない事だらけです。
だけど、言葉ってある意味元気づけてもくれるし悲しくもさせてくれる凶器なんだと思っているんです。
そんなモノを話せる人間に生まれたのだから最大活用するしかないなと日々考えています。
こうしてブログに言葉を記しているのもいい機会だなと考えていますし、大体足りないぱんだの言葉少しでも拾ってくれていたら嬉しいです。
自分自身を見直す事
最近は自分の事を見直すという事に時間を割いてる気がする。
それというのも今まで自分を見直すや自分を改めてどうにかしようとは考えた事なかったんですよ。
自分の能力的な事や得意不得意なども考える事は苦手なジャンルだったんです。
そんな事遠回しにしていたら仕事に追われて違う事もできなかったというなんという時間の使い方が下手な私だったんだと今では悔やんでいます。
性格と一言で言っても広い意味で色々あると思いますし自分のポリシーとまではいかないですが、拘りも有る方だと考えています。
そんな時にふと自分の事を横になりながらぼんやりと考えているんですがまとまらないのでシリーズになるかもです
まずはぱんだという人の性格
まずは自分という性格を一言で表すと、マイペースで頑固で人と同じ事をしたいというか周りが右なら右を向きたい、左なら左と合わせたいのにそれに合わせられない。
素直ではないので人に甘える事は滅多にできないし、ヒマラヤよりも高いプライドを持ち合わせている為完璧主義な所があり相手にもそれを強要してしまう場合があります。
極端な考え方を持ち合わせていて100と言ったら100だし0と言ったら0になってしまって、でも小心者な所も有るために相手に強く出れないし不満に思っていても正直にそれを表す事も語彙力も持ち合わせていない口下手だと自分でも思います。
積極性に欠ける事も多々あり、人の中に埋まって人の波に飲まれて生きたいです。
みんなと違う事をするのはとても怖いし、今自分がニートをしている事に対しても後ろめたさや後悔や諸々の感情が芽生えています。
積極性に欠けるという障害
先程も言いましたが私は積極性に欠けます、私は兄弟は多い方の次女に当たるのですがどうもその中で異色な人物のようです。
いるのかいないのかわからないではありませんが、昔から問題を多々起こしては両親を泣かせて居た存在でしたがその他に至っては、生きていればそれでいいとか周りに合わせたらいいかという精神がとても強く多数いる兄弟の中では必然的に影が薄くなります
上や下に挟まれるとどうしても単独行動が多くなります、積極的に主張を行わなくても単独行動をとれば問題は解決してしまうという弊害が発生します。
私の人見知りというものも含まれてしまうかもしれません、私は昔から話しかけるのも友人を作るのも苦手です、誰かにべったりをして依存して生きてきたなと思います。
積極的な行動を何1つ取れません、大人数でいたら何をしたらいいかわからないという事が正しいかもしれないです。
自分がこんなにも積極性にかけているのは一種の弊害であり障害であると思います。
でも、生きていく上では孤独ではありますが困っている事もありますが…。
今の所は快適に過ごしています。
自分で自分を好きかと問われた時に言う事
これね、私の一生の課題だと思われます。
今は自分を好きかと問われたら私は自分は嫌いです。
はっきり言えるレベルで嫌いです。
だけど、それを表に出すのは周りの人を不愉快にさせるだけなので出来るだけ控えてはいたいですが、たまに自信がなくなりすぎてそれが表に出てる時点で本当に嫌になって自己嫌悪に陥ります。
自身を好きだと言えた事など何も無くて自分は中身空っぽの人間だと思います。
仕事も人よりもできない、どんくさい要領も悪い遠回りをしないと何処にもたどり着けない、外見も人より醜いと思っています。
自分が好き?ってたまに友人に確認される事があるんですが、そんな時もうーんと言葉を濁してしまう時があります。
前職を退職した事から私は自分に対する「自信」という単語を根こそぎ持っていかれた感じが今だに回復していません。
技術職をしていた私はその業界では初心者で右も左もわからない状態でした。
朝も昼も晩も深夜も全ての時間をその仕事に捧げました頑張らないと何も手に居れられないと、何もできないと私はずっとパソコンに向かっていました。
それがいけなかったのかよかったのかわかりませんが私は数年もしたら体調を崩し、そのまま何も手がつけられない状態であるという事が更にストレスになりました。
そして更に怖くなりました、それはもう自分はだめなんだと生きている価値もないという事を突きつけているつきつけられている状態でした。
今だにその恐怖も何も拭えない状態です仕事をしても失敗するんだとか人並みにできないという事とかを考えて何も動けないでいます。
なので私は今現状だけを言うと「自分の事は嫌いです」それだけです。
自分自身を見直すというというかぱんだの事を更に分解しているような記事になりましたね、こういうのもブログに残していきたいなって思ったんです。
こうかいていてももしかしたら来年の今頃は自分が自分を好きになっているかもしれないとか…
前向きな気持になりたいとか色々と思いながらブログを記していきたいです。
ぱんだという人物は本当にネガティブとの塊だと思います。
口から出る言葉はでもでもだって、このままでは全て消えてなくなるかもしれないからまずはポジティブになれるようになりたいなと今は思っています。